摂関家のライバル関係-まずは原典から~自転車のチェーンにあたる古典の常識③

 前回、藤原兼通と兼家の兄・弟、道長と伊周の叔父・甥の激しいライバル関係‐出世争いのことをお話ししました。「藤原氏」とひとくくりに考えてしまいがちな現代のわれわれですが、『大鏡』ではこのあたりの事情を、きちんと述べてくれています。以下、引用します。

 世間(よのなか)の摂政・関白と申し、大臣・公卿と聞こゆる、いにしへ今の、この入道殿の御有様のやうにこそおはしますらめとぞ、今様(いまやう)の児(ちご)どもは思ふらむかし。されども、それさもあらぬことなり。いひもてゆけば、同じ種、一つすぢにぞ、おはしあれど、門(かど)わかれぬれば、人々の御心もちゐもまた、それにしたがひて、ことごとになりぬ。

(現代語訳)
 「世の中の、摂政・関白と申し上げ、大臣・公卿と申し上げる昔や今の(方々は)、みな、この入道殿[道長]の御有様のよう(にご繁栄)でいらっしゃるのだろうと、当節の若い者どもはきっと思うでありましょう。けれども、それはまちがっているのです。(これらの方々は)せんじつめれば、同じ祖先、一つ血筋でいらっしゃいますが、家門が分かれてしまうと、人々のお心の用い方も、またその家門にしたがって、別々のものになってしまうのです。

(本文・現代語訳とも、旺文社「古典解釈シリーズ 文法全解「大鏡」 鵜城紀元著 より引用)

 本文で述べられている「一つすぢ(一つ血筋)」とは、藤原氏の源流が、おおもとはあの大化の改新で中大兄皇子(のちの天智天皇)とともに蘇我氏を倒した中臣鎌足(死に臨んで天智天皇より藤原姓を賜る)だということを言っています。その子である不比等(ふひと)の、さらに子の代で、藤原家は南家、北家、式家、京家の四流に分かたれ、房前(ふささき)の子孫の北家が摂関家として主流を占めたことが、その骨格です。

 前回も述べたように、兄弟間の争いは、権力や財産を分かつ場面では、非常に多く、激しいのです。中大兄皇子=天智天皇にしても、その弟の大海人皇子と実子の大友皇子とが皇位を争い、勝利した大海人皇子が天武天皇となっています。これが「壬申の乱」です。

 また室町時代の「応仁の乱」も、そもそも八代将軍足利義政が、当初は弟の義視に将軍を譲ると決めていたのに、あとで実子の義尚を後継と決めたことが発端です。

 兼家や道長の時代の摂関家で、「自分の直系の血筋(兄弟は傍系)」で摂関職を独占しよう、とするのが当然の争いであることが、おわかりいただけるでしょうか。

 こうした「古典の(時代の)常識」を知った上で読む、というよりも、現代のわれわれの「常識」で古典を読んでも理解しにくい、ということを、まず知って欲しいと思います。

 なお、言問学舎ホームページおよびマイベストプロ東京ほかのサイトの方で、『大鏡』の有名な「三船の才」を例にしたテキストを、4月25日にアップしています。あわせてご覧下さい。 

「文語文法実践篇」予告篇 http://mbp-tokyo.com/kotogaku/column/37807/

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