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高校生の現代文テスト対策 夏目漱石『こころ』・読解補遺①「奥さん」の心情について
さて、今年新しく『こころ』についての考察を追加するにあたり、若い読者の方の関心がどんなところにあるのかをいろいろ調べている中に、「下 先生と遺書」における「奥さん」、すなわち「御嬢さん」の母である下宿の主(未亡人とも)の心情について、問うておられる方がありました。
この「奥さん」=「御嬢さんの母」という人物は、ほとんど屈折のない登場人物であり、「御嬢さん」とくらべても、陰翳にとぼしいのですが、それだけに、全篇を読む機会のない(教科書掲載部分を中心に読む)読者の方には、かえってつかみにくいところがあるのかも知れませんね。
今回と、おそらく次回、この「奥さん」と「御嬢さん」について述べることになると思いますが、先立って、この二人の登場人物の本稿での呼称について、整理して決めておきたいと思います。というのは、「御嬢さん」は、「上 先生と私」においては、若い大学生の「私」(「下 先生と遺書」における「私=先生」ではない)から見て、「奥さん」と呼ばれる人物だからです。すなわち、「上」(これ以降、各章も「上」「中」「下」と省略することにさせていただきます)において若い「私」の目に、尊敬する「先生」の奥さんとして映っているこの人は、若者からすればふいに翳りを見せることもあり、混同のないよう呼称を整理する意味と、その存在を明確にする意味の両面から、本稿の中で明確に指し示すようにしたいと考えて、以下のように呼称を統一することと致します。
◎「奥さん」・・・「下」に登場する、下宿の主=「御嬢さん」の母親。
◎「御嬢さん(のちの妻)」・・・「先生」が「K」と争った下宿の御嬢さんで、のちに(作品中では「上」で)「先生」から「妻(さい)」と呼ばれる女性。場合により「妻(さい)=かつての『御嬢さん』」とします。
補足して、以下の2点も統一することを明記します。
◎「先生」・・・「下」では、「私」となっている、「上」、「中」の若い「私」が「先生」と呼び、慕っている人物。「K」を恋において出し抜き、裏切った過去ゆえに、不思議な生き方をしており、その陰翳が、若い「私」をひきつける。
◎「私」・・・「上」「中」の主体であり、当初は大学生として登場する。「先生」に魅力を感じ、死を間近にしている自分の父親を郷里に置いたまま、「先生」の遺書を手に、上京してしまう。この人物については、「私」として固定しながら、必要がある場合は、“若い「私」”とします。
前置きが長くなりましたが、「奥さん」の心情について、見ていきます。
「上」において、「奥さん」は、「心情」が語られるような人物としては、出て来ません。「私」が父の病のために国へ帰るくだりで、同じ病気で他界した、「先生」の「妻(さい)=かつての『御嬢さん』」の母として、語られるだけです。しかも「同じ病気だった」ことが主たる記述ですから、伏線、暗示の意味がなくはないにせよ、「奥さん」自身の気性や心情に読者が触れる局面は、ありません。
また「中」は、若い「私」が自身の郷里に帰って両親と過ごしながら、父の死病と向きあうくだりですから、父との対比で「先生」の姿、そして「私」の思いが語られるだけで、「奥さん」はまったく出て来ません。
さて、「下」において「奥さん」が登場するのは、郷里で叔父に欺かれた「先生」が一軒家を探し、めぐりあわせによって軍人の未亡人である「奥さん」と「御嬢さん(のちの妻)」、二人暮らしの家への下宿を打診する、その時からです。
あの「K」が、「果断に富んだ性格」と、のちに述べられていますが、私(小田原)は「奥さん」にも、この形容がふさわしいだろうと考えています。「下」の「十」の章の末尾には、このように書かれています。
<私は未亡人に会って来意を告げました。未亡人は私の身元やら学校やら専門やらに就いて色々質問しました。そうしてこれなら大丈夫だというところを何所(どこ)かに握ったのでしょう、何時でも引っ越して来て差支えないという挨拶を即座に与えてくれました。未亡人は正しい人でした。また判然(はっきり)した人でした。>
じつはこの描写が、「奥さん」の「気性」をすべて言い表しているのです。この時、「先生」に一定以上の信頼を即座に与えた「奥さん」は、その後、自分の娘=「御嬢さん(のちの妻)」と「先生」が不用意に結びつくことへの警戒の気持ちを持っていたことはうかがわれるものの、「先生」を気に入っていたのであろうことが、首尾一貫して読み取れます。それは「先生」と母娘の三人連れで買い物に出かけた時(「先生」が「御嬢さん(のちの妻)」に反物を買い与えたくだり)の様子や、「K」を同居させたいと申し出た時に反対したことなどから、明白です。
ただ、叔父に裏切られた傷の生々しい「先生」の方が、一本気ともいえる「奥さん」の厚意に対して、「疑い」を持ってしまったのです。曰(いわ)く、自分(「先生」)が持っている相応の財産ゆえに、「奥さん」も、娘=「御嬢さん(のちの妻)」を自分に嫁がせたいと考えているのではないか、という疑いです。実際に、亡父の弟である血を分けた叔父から、従妹との結婚を強要されそうになった「先生」としては、無理のない疑いだったとも言えましょう。
しかしそれが「先生」の杞憂(きゆう)であったことは、「先生」が結婚を願い出た時、ただちに「よござんす、差し上げましょう」と応答した「奥さん」の台詞が、証ししているのではないでしょうか。
「奥さん」は、明治(深く追求すれば江戸)の女の象徴として、信念は強いけれども一度人を信じればとことんそれを貫き通す、古い時代の代表として登場しているのではないでしょうか。そこには「心情のゆれ」は必要ない、むしろあってはならぬものだったのではないかと考える次第です。
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