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高校生の現代文テスト対策 森鷗外『舞姫』③エリスとの出会い
日本からともにベルリンに留学した同輩たちの一グループから嫌われ、もとのように従順で思い通りに働く部下でなくなったことから官長にも疎まれはじめていた豊太郎は、ある夕暮れどきに、エリスと出会います。
「今この所を過ぎんとするとき、鎖したる寺門のとびらによりて、声を呑みつつ泣く一人の少女(をとめ)あるを見たり。年は十六、七なるべし。かむりし巾(きれ)を洩れたる髪の色は、薄きこがね色にて、着たる衣(きぬ)は垢つき汚れたりとも見えず。我が足音に驚かされて顧みたる面(おもて)、余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず。この青く清らにて物問ひたげに愁(うれひ)を含める目(まみ)の、半ば露を宿せる長きまつげにおほはれたるは、なにゆゑに一顧したるのみにて、用心深き我が心の底までは徹したるか。
(ちょうどその場所を通り過ぎようとするとき、閉め切られた寺院の扉によりかかって、声を押し殺しながら泣く一人の少女の姿をみとめた。年の頃は十六、七だろうか。頭にかけたベールからこぼれ出る髪の色は、うすい金色で、身にまとう服は、高価そうではないがさっぱりと小ぎれいである。私の足音に驚いて振り向いた顔かたちは、詩人の文才がないために表現のしようもない(ほど美しい)。この、もの問いたげに愁いをふくみ、わずかに涙にぬれた長いまつげに覆われて青く澄んだ瞳は、どうして私をひとたび見つめただけで、用心深く注意している私の心の底にまで届いてしまったのか。
すなわち、苦境の底で愁いにしずむエリスの瞳は、ひと目見ただけで豊太郎の心をつかんでしまったのです。豊太郎は、「なにゆゑに泣きたまふか。ところに係累なき外人(よそびと)は、却りて力を貸しやすきこともあらん。」(どうして泣いていらっしゃるのですか。この土地に知った者のない他国人には、かえってお手伝いしやすいこともあるのではないでしょうか。)と、彼女に呼びかけました。
このときエリスは、父を亡くし、その父の葬儀を出す費用を得るために、自分が勤めるウィクトリア座の座頭シャウムべルヒの無理無体を、聞き入れなければならない境遇に置かれていました。豊太郎の真率な人柄をたのみに思ったエリスは、豊太郎を自宅に連れていきます。そして豊太郎は、現金の持ち合わせが少なかったために時計をエリスに渡し、当座のお金を用立てるように言いました。
こうして、豊太郎とエリスの交際がはじまります。とはいえ、はじめは「我ら二人の間にはまだ痴騃(ちがい)なる歓楽のみ存したり」(私たち二人の間にはまだ他愛ない楽しみがあっただけ)、「よそ目に見るより清白なり」(他人の目から見るよりもきれいな)、というものでした。しかし例の、豊太郎を誤解し、嫌っている連中の中で、もめごとを起こすのが好きな人物が、豊太郎がいかがわしい踊り子と、好ましくない付き合いをしているということを官長に告げ口し、かねて豊太郎を疎むようになっていた官長は、とうとう彼を解雇する、という結果となってしまいます。
官費(国のお金)で留学しているわけですから、豊太郎は、「すぐに日本に帰るのなら、旅費は支給される。しかしベルリンにとどまるなら、一切国からの援助はなくなる。」という立場となってしまいました。さらに追い打ちをかけるように、日本から、母が亡くなったという知らせが届きます。
そして、このように差し迫った状況の中で、豊太郎はエリスと、「離れがたき仲」となってしまったのです。「日本に帰らなければならず、明日のわが身がどうなるかもわからない時に、そんなことにならなければ、あとで苦しむこともなかったのではないか。」とは、言えません。ここも作中、大きな読みどころですから、原文を引いて、現代語訳を試みましょう。
「・・・余がエリスを愛する情は、初めて相見しときより浅くはあらぬに、今我が数奇を憐れみ、また別離を悲しみて伏し沈みたる面に、鬢(びん)の毛の解けてかかりたる、その美しき、いぢらしき姿は、余が悲痛感慨の刺激によりて常ならずなりたる脳髄を射て・・・」
(そもそも私がエリスを想う情愛は、初めて知り合った時から浅いものではなかったが、今私の不幸な境涯に同情し、同時にまた別れを悲しんで、伏せた顔ばせにほどけた髪が流れかかって嘆きに沈んでいる、美しくいじらしいその姿が、職を失い故国の母にも死なれるという悲痛きわまりない衝撃のために普通の状態でなくなっている私の深奥を貫いて・・・)
こうして豊太郎は、エリスの家に寄寓することとなり、仕事は親友の相沢の斡旋で、日本の某新聞社の通信員として、わずかな給与を得られる立場を手に入れて、ベルリンにとどまる結果となりました。
つづく