高村光太郎『レモン哀歌』を、行間に注目して読む-第1回

 国語力、読解力を伸ばすためには、「行間」が読めるようになること、そうなるための指導が重要です。先般解題の掲載を始めた『レモン哀歌』を教材として、ご案内しましょう。

 まずは作品をご一読下さい。あとの解説の必要上、各行に番号を記しましたことを、作者および読者のみなさまにお詫び申し上げます。


    レモン哀歌
                高村光太郎

 ①そんなにもあなたはレモンを待つてゐた         
 ②かなしく白くあかるい死の床で            
 ③わたしの手からとつた一つのレモンを         
 ④あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ         
 ⑤トパアズいろの香気が立つ               
 ⑥その数滴の天のものなるレモンの汁は          
 ⑦ぱつとあなたの意識を正常にした            
 ⑧あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ          
 ⑨私の手を握るあなたの力の健康さよ           
 ⑩あなたの咽喉に嵐はあるが               
 ⑪かういふ命の瀬戸ぎはに               
 ⑫智恵子はもとの智恵子となり              
 ⑬生涯の愛を一瞬にかたむけた              
 ⑭それからひと時                    
 ⑮昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして          
 ⑯あなたの機関はそれなり止まつた            
 ⑰写真の前に挿した桜の花かげに             
 ⑱すずしく光るレモンを今日も置かう           
 
 (表記は、旺文社文庫『高村光太郎詩集』北川太一編 によります)

 この詩は、音韻と、一行ごとのかかわり/独立の妙の極致をみせる絶唱ですが、また意味上「行間」を読む上でも、非常に深いものを内包しています。

 「行間を読む」とは、かんたんに言えば、「直接には書かれていない背景や心情を読みとること」です。「行」と「行」の間を読むわけではないのですが、このような詩においては、一行ごとのつながり、関連を考えることにも、深い意味があります。

 では実際に、作品を読み込んでみます。行の番号で示すスパンごとに-

A 文学史的知識を問わない、すなわち光太郎と智恵子のことをほとんど知らない読者の読み方
B 一定程度以上、二人のことを知っている読者の読み方
を示します。

①~④  
 Aにあっては、避け得ない死別に際してレモンをのぞんだ去る者の切ない思いと、それを満たしながらも、決して満たされることのない自身の思いを抑えながら、ひたすらに去る者の魂を浄めたいとねがう見送る者の祈りとを、読みとることができるでしょう。
 Bならば、ここに至るまでの智恵子の病歴と光太郎の苦しみ、「そんなにも」レモンをのぞんだ智恵子の心がいずこより来るものか、そして唯一光太郎の芸術を介して結ばれ合った二つの至純なる魂の交歓が、この一瞬に凝縮され、そして永遠に失われることを予感するでしょう(光太郎のたぐい稀なる詩精神は、ついに智恵子との交歓を、生涯貫き通すのですが)。

⑤ 独立行 
 A、Bいずれであっても、この一行は、鮮烈なレモンの果汁の香りが「かなしく白くあかるい死の床」に一服の清涼剤となることを感じさせます。もちろんBで、『智恵子の半生』を知悉している読者であれば、「私の持参したレモンの香りで洗はれた彼女はそれから数時間のうちに極めて静かに此の世を去つた」等の記述や、「千疋屋から買つてきたばかりの果物籠」のイメージなどを、思い浮かべるかも知れません。

⑥~⑦
 先に指摘した「見送る者の祈り」が果たされ、智恵子の意識は正常になった。Bの読者は、智恵子の七年にわたる異状が、別れに際して奇跡のように回復し、「もとの智恵子」との別れが果たされることに涙するでしょう。が、Aの場合でも、死病の床にある患者が正常な意識をとり戻すシーンとして十分理解され、頭を垂れるだろうと思われます。

※これらのことを、作品を読む際にひとつひとつ意識しながら進むわけではありません。そのように感じとりながら読み進むのが、「行間を読む」ということなのです。

実際に、「レモン哀歌」を朗読してみました。以下のリンクよりご覧いただけます。

https://www.youtube.com/watch?v=7MbHWkIbJ6I&feature  YouTube 「レモン哀歌」

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