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幾山河越えさりゆかば・・・ ※若山牧水の恋と旅と歌②
幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ國ぞ今日も旅ゆく 若山牧水
「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」と二首、まさに青春歌の双璧と言っていい牧水の代表歌です(「白鳥は」の歌については、次回詳述)。『海の聲』『別離』所収。
若者は、なぜ旅をするのでしょう。そして、何に恋い焦がれているのでしょうか。牧水個人の資質や当時の環境を離れ、背景を問わず若者が旅を志向するこころの本質を、真髄から言い当てた歌であるからこそ、牧水の名を不朽のものと為さしめた名歌です。
この歌を学習する中学生・高校生のみなさんのために、あえて「通釈」を施してみましょう。
今日まで越えて来て、また今から一つずつ越えていく山や川、それらをいくつ越えたなら、自分の心の中のこの「寂しさ」が消え、心から満たされる国に行き会うのだろう。望みもないまま、しかしいつかは出会えるだろうという淡い希望と、旅ゆく心を供として、今日もまたこの当てのない遠い旅路をゆくほかない、いまの自分であることだよ。
この歌は、「四句切れ」です。「句切れ」とは、教科書の解説などではわかりにくいかと思いますが、このように散文の「通釈」を書いたときに、句点「。」が置かれるところ、すなわち明確な「意味の区切り」がある部分のことを言います。
答えの見えない、遠い青春の旅を歩くとき、どこがその終点であるのか、だれにもわからないものです。そしてまた、このように歌った牧水は、「寂しさ」の尽きる時はないものと承知していて、その「寂しさ」を愛しんでいたようにも思われます。
牧水は、いまの岡山県の山路を歩きながらこの歌を書いたと言われています。
私はまだ、新見(にいみ)市あたりと言われるその山路を歩いたことがないのですが、牧水のこの歌は、その場所をたずねたことのない読者の心にも、この歌に詠まれた通りのたたずまいを、教えてくれます。
恋と酒と旅の歌人・若山牧水の秀歌とその周辺を、ひきつづきご紹介したいと思います。次回から、「牧水の青春」に分け入ってみようと思います。